真理に向けて

本題から話がそれてしまったので、話を戻そう!今、日本にはあらゆる物があふれかえっている。金さえあればそれを手に入れられる。そして、この日本は資本経済で戦後から60年にして、目を見張る世界先進国の一つであり、金は腐るほどあり、それを当然と思っているだろう!欲しい物を手に入れて満足することなど造作もない。物を使いやりたいほうだいである。そんな中で、人は人が生きていけば、物への執着はあっても、自分自身への価値観も軽薄になるだろう。

これだけの環境を作り出す為にはそれだけの社会的システムが必要不可欠である。今、人はそんなシステムを動かす人の為だといい自分に鞭を打って働いている人達がいる。

しかしながら、その人の為にやっていることは自分の価値に希薄な人を作り出している。そこで、働く人は考える、自分達は豊かな環境をさらに作りだし、幸せになろうと!それがはたして自分の価値観を見直して本当の幸せになれるのだろうか?

答えはNOであり、悪循環を生み出し、自分の価値に希薄な人間は、自分はどうでもよくいきるなら楽しくしてそんな自分の価値イコール人と思い、他の人に対しておかまいなしな行動をとり、それが非行、犯罪になるのを見て、働く人、この場合、労働力として主流な中年、つまり若者の親の世代だという人は、何がいけないだろうと考えるのは良いが本当にそれが原因なのかわからずに、原因を決めつけ、それを徹底して潰し、それが拍車をかけ、より良い世界にしようと無意味な悪循環を繰り返す。

一方、非行、犯罪を起こした人は潰されたものを見て、それに固執している自分達(ここでは非行、犯罪を起こした者以外もいれて…)は潰した者達を憎み、そうでないと教えようと必死に叫ぶが悪循環で忙しい者達は自分達の「人の為」に必死なので、叫びを聞くところではない。話を聞いてもらえない者達はそんな自分達に気付いて欲しくて、怒りの矛先を捨て身で非行、犯罪に走らせ、新たな悲劇を生み出す。

こんな世界を僕は思うだけで苦しくなる。こんなことは本当書きたくない、書く行為に必要な考えること、思い出すこと、言葉にすることはしなくない。でも、僕は書くことで誰かに気付いて欲しいし、嫌なことを忘れる人間の記憶をなくさないために書く、それが、もしかしたら、誰かに届くことを信じて…

だが、これは人の悪い面だけであり、悪いことだけが周りにあるのではない。このようなことを思うのは自分だけではないはずだから…僕のようにそんな嫌気がさした世界を見つめ、そのために苦しくても、本当の人間の在り方を考えてくれる者達がいる。それに対して少しでもしがらみを解く者、解かれされた者はそんなことに気付いて考えて、少しでもしがらみが解けたことによって、救ってあげられた自分はなんてすごい人なんだ!とか、救われた自分はなんて幸せなんだろうと感じられ、自分というかけがえのない存在、価値観に気付き、本当の幸せを味わう。

これを僕は陰陽道の縮図である、対極図によって表せると思う。対極図は一つの円に合わされようにしてバランスを良く、陰と陽を置き、陰の中心には陽を、陽の中心には陰が配置してある。例えば、悪い面を陰、良い面を陽とする。大きい陰の中に小さい中心となる陽がある。これはこの冒頭の方に記した大部分を占める悪い面に対して、そんなものではないと、気付いた希望的な考え方を表し、大きい陰の中心となる陽は悪い面が莫大だったため、自分の素晴らしさに気付いた自分に対して、それを気付かせ、意識させるための存在、または、陰の考えからによる莫大な陽を対比させ、意識させる為に陰を表しているのである。この対極図は今の僕の心を表しているといえよう。ちなみに対極図は陰陽道の基盤である。

このように、人の心理にも、気付かなければ、分からないが陰陰道が関連している。このようにして、どの分野でも何らかの分野が影響していることがわかる。つまり、極端にいえば、例えが悪いがリンゴが十個あってもリンゴはリンゴに変わりはない、元は一つだったものが複雑化して万物が成り立ってある。真理とは万物を成り立たせる元の一つのものといえる。「一は全、全は一」有名であるがこれがそれを示しているといえるのである。